ジョギングしてダイエットした結果です。別人になっちゃいました。 | |
Befor(83kg) | After(62kg) |
顔パンパン、腕極太、腹出てるし | スッキリ |
年齢 | 42歳になってしまった。たっちゃんです。 |
小学生時代 |
ちっこくて色黒のスポーツ大好き少年だったかな、暇があれば友人を誘って野球やらサッカーやらやってました。 それがこうしてか、4年生から地区の野球チームに誘われて毎日せっせとやってました。 さすがに4年生ではレギュラーには選ばれず残念でしたが、チームは見事優勝、補欠でしたがベンチで大喜びしたのを思い出すなぁ。 5年生になってレギュラーにはなったが、ライパチ君活躍する事無く終えましたよ。 6年では誰もピッチャーをやる人が無く、しかたなくやるはめに・・・。 この時も背が小さかったので本当にいいのかって感じ、学校での整列はいつも「前へならえ」が出来ない子でした(笑) おかげで、地区大会では弱小チームに負けてしまう情けない結果、それでもチーム全員で大泣き、あの悔しさは忘れないです。 そうそう小学校でのマラソン大会なんかは、常に10位以内に入っててマラソン好き、最高位は6位だったかな 陸上競技大会にも1500mで出場した事あるけど、撃沈したような記憶が・・・・。 |
中学生 |
野球にはまったく才能を感じなかったので敬遠、サッカー部はしんどそうだし、入りたかったバレー部も無い まぁバレー部ってのも背が高くなるかなぁと思ってやりたかったんですけどね(笑) しかたなく一番楽そうな軟式テニス部に入ったわけですよ、これがまた計算外のしんどさでした。 それが顧問の先生がハリキリボーイでしたよ、初めてクラブの顧問になったらしくてテニスのテの字も知らなかったんですよね あり得ないでしょ、なのでテニスの本を持ってのコーチですよ、それが地獄の始まりだったんですけどね 何せ入ってから基礎体力をつけるトレーニングばかり、今では考えられないうさぎ跳びに始まり、最後は持久走まで・・・。 そのおかげなんですけど、入ったばかりなのに1年生代表で6月の試合に出れたのは頑張ったかいがありました。 3年間でかなりの基礎体力はつき、実力もついて大きい大会にも出場できたし、今の自分があるのもこの先生のおかげかもしれない。 3年生の時にはスポーツ体力テストランキングで3位にもなれたし、マラソン大会でも7位になれ、陸上部にスカウトされそうになるぐらいでした。 勉強の方はさっぱりでしたけどね(笑) |
高校時代 |
頭の悪さから男子高校に入学、一応公立です。色気のない学生生活を送る。 テニス部に入るものの真剣にクラブに通ったのは1年間ぐらい、あとは内緒でバイトに明け暮れる毎日 一応県大会には行きましたが、1回戦で撃沈したかな、燃えるような頑張りがなかったような・・・。 まぁマラソン大会は頑張りましたけどね、11位が最高位で表彰状が貰えなったのが残念 この学校には駅伝大会もあって学校を周回するコース、区間賞を貰った記憶がかすかにあります。 男子ばっかりのもそれなりに面白かったけど、入ってから共学にすれば良かったと今でも思います。 |
社会人 |
頭は悪かったけど何とか就職先もあって社会人に、ここでもテニスを続けてたんですけどね 実力の方はどんどん下降、大会でも勝てなくなってくると練習もいかなくなる。 2年程経った頃に退部、悲劇はここから始まる。 入社当時は56kgだった体重も、カロリー消費が無くなると徐々に増えてくる。 移動手段もバイク&車なので歩く事も余りなし、唯一会社での動きだけあっという間に60kg台になる 結婚前には65kgぐらいになってましたが、今まで通りの食生活、たまに思い出したようにダイエットする。 水分抜きダイエットなんか凄かったなぁ、1週間で5kg痩せたけど止めたら即効で戻りましたよ、リンゴダイエットもしたなぁ さすがに飽きたので3日も持たなかった。 さらに増えたのは結婚してから、幸せ太りとも言いますがね、食べに食べて70kgの大台になってしまった。 確かこの時かなぁ、友人から平荘湖マラソンに出ないかって言われて参加しまたよ、これ100円で参加のチャリティマラソンでした。 それで気合が入ってシューズを買いました。確かミズノでかなり薄い靴だった記憶がある。ついでにウィンドブレーカーも買った。 このウィンドブレーカーは今でも冬になると着てます。15年目でもうボロボロですがね、愛着があって捨てれません。 今思うと初レースだったんですよね、確か1周(4.8km)だったかな24分ぐらいで走った記憶があり友人には数秒差で惜敗しました。 その後、走るのを続ければ良かったんですが、パタッとストップ、この時に続けていれば今どうなってたのかなぁ。 それでまたまたリバウンド、30歳ぐらいの時には再び70kgなって、こりゃヤバイってことでまたまた走りだす。 この頃には加古川河川敷近くに住んでたので河川敷の土手を走ってました。まだ河川敷は整備されておらず マラソンコースは存在して無かったんですよね。毎日では無かったですが1ヶ月ぐらい続けたら65kg、やった〜と思ったら またまたパッタリ止めちゃってリバウンド、駄目駄目君炸裂でした。 ピークは37歳だったかな、写真のヤツですわ、鏡では何時も見たけど世間の太ってる人と比べるとマシでしょ〜っと まったく気にならなくなる最悪状態、でもショックな出来事が始まる。ある人が携帯電話で自分の後ろ姿をこっそりと撮影 その写真を見せに来てこれは誰でしょ〜とクイズを出してきたんですよ、見た瞬間に○○さんと思ったので言ってみると大笑いされ ?状態、聞いてみると自分だったんです(泣)、え〜他人から見るとこんな姿にみえるの〜、それと同時期に取った写真が上の写真 他にもたくさんありましたが自分とは思えない体、ショックでしたが運動するのが億劫になってる自分は大丈夫やろ〜と思いながら そのままに・・・・。そしてダイエットするきっかけとなった健康診断がやってきたのです。 何時ものように淡々と健康診断を進めて最後の問診の時に、このままじゃ危ないですよ、えっ何が、三大疾病の一歩手前ですよ〜 頭の中は・・・。えっとですねぇ、「糖尿病、高血圧、高脂血症」の半歩手前ですよ、・・・。普通1歩手前って言いますよね(痛)。 そう、これがきっかけでダイエットが始まったワケです。 さぁさぁこれからどうする。さすがにその日は仕事どころではなかったですね。これには真剣に取り組みましたよ。 その日に何をするか決めて始める、まずは食事、これは一番の問題ですよね、人間の一番の癒し&楽しみ、食べるのを減らすのは嫌だし やっぱり運動するのが一番、でも食も何とかしないと、いろいろ考えた結果が下の項目。 【食事】 おかずの量は減らさない。 御飯は今までの半分。 おかずの油分は抜く。 ラーメンは汁を飲まない。 宴会では制限なしの何でも有り。 【運動】 毎日朝晩、近所の学校を5周(3.5km) 絶対に休まず、何があっても走る。一度止めると続かなくなるため 厚手の服にカッパを着て走る。(汗を一杯出す)、今なら絶対にしないけど。 毎日体重計に乗り、データを残す 上記の項目を3カ月きっちり守ったら、みるみるウェストが減ってきて、服もダブダブ状態になった。 食事の方は問題なく出来たが、さすがに走る方精神的に辛かったし、体もあちこち痛くなって止めたくなりましたが、効果がきっちり 現れてたので頑張って続けれた。それと知人に会うたびに痩せてきたなぁっと言って貰えるのが嬉しかったし、驚く顔を見るのも面白かった。 3ヶ月後には83kgあった体重も65kgになって、衣服を全部買い直す嬉しい悲鳴、いままで腹回りを隠すためにシャツを外に出して見えない様に してまたけど、それも着ないようになり、今まで出来無かった格好ができるのが嬉しい。本当ダイエットして良かったなぁと思う。 そして3ヶ月後には食も元に戻し、走る距離少しずつ増やす様に、通勤もなるべく歩くように心がける。 その頃から走る場所を河川敷に移す。そう加古川マラソンコースなんですよね、こんな近くでフルマラソンをやってると思うと無性に参加して みたくなる。そして走りだして1年後の大会で参加する事に、徐々に走れる距離を増やしようやく20kmが走れるぐらいになった。 初めてのフルマラソンの格好は、ニット帽、長袖シャツ、下は長ズボンのジャージで走った記憶があり、たくさんの人が自分の前を信じられないスピードで 走ってく姿を見てると自分も走れるのかと思い、ついて行くと数キロ走った所で撃沈、女性の方もたくさんいたがあっさり抜かれ驚いた。 その頃はフルって何も解らなかったので30kmの壁とかも知らず走ってましたが、ちゃっかりその30kmで足が攣り走れなくなる始末、足を引きずりながら ゴールまで走り何とか完走、3時間50分で走れた。この時はもう2度とフルは走らないと思ったのは確かです。 その後は体重維持のためにジョギングする毎日、丁度4年生になる息子が小学校の陸上部に入ってたので1500mの競争を真剣にした事がある 所詮小学校、負けるはずが無い、親としても負けるわけにはいかない、そう思いながスタート、力を余してスタートすると息子はどんでもないスピードで 走って行く、スピードを上げても追いつかない、最後ラストスパート掛けるもまったく及ばす完敗、これはショックでした。 っと言っても練習方法も解らないし日々ジョギングのみ、っと噂で名探偵コナンのTシャツが貰える大会があると知る。 その大会が鳥取県である「すいか・ながいも健康マラソン」でした。Tシャツ貰う為だけに参加した大会でしたが、マラソンの雰囲気や折り返してくる トップランナーのスピード、終わった後の達成感等、刺激になるレースでした。それに気を良くして夏にあった「おおかわち高原ロードレース大会」に 参加、5kmのレース完走できればいいなぁと思ってたのに、暑さと激坂に耐えられず歩いてしまった。一応完走したんですけどね。未だにあのショックは 忘れません。足が攣ったとかで歩くのは仕方ないとして、何も無いのにただしんどいだけで歩いてしまった。本当情けないとしか言いようがない。 しかしもっと情けないのは、これをきっかけに走らなくなってしまった事、わずか2週間で体重激増、あっと言う間に70kgになってしまった。 これでいいのか自分、いろいろ思い返し、フルの撃沈、5kmでの歩き、このまま終われないと再び決心!! 目標を決めた。4ヶ月後にある加古川マラソンでリベンジする事を目指す、絶対歩かないで全力で走る。この日からまた走り始めた。 そしてこの日からジョガーではくランナーに変わった日になった。 |